超大げさなタイトルにしましたが。。最近私が気づいたことをシェアします!
人生の中で「最高のときだったな」とわかるのはその人生がおわるときだといいますよね。
たしかにそうです。そのトータルの人生で振り返ることができるのはまさに終わる時しかないでしょう。
しかし私たちは人生はいつ終わるのかわからないです。だからこそいつ終わっても後悔のない人生を、とはいいますが、いつ何時も「明日、終わるかもしれない」と毎日思いながら過ごすのは正直とてもとても、疲れてしまうでしょう。
病気だったり、周囲の環境によっては本人の望む望まないにかかわらずそんな状況に置かれている方たちもいるでしょう。しかしわたしたちの多くははっきりとそんな状況をリアルに思い浮かべることができるでしょうか?
難しいですよね。そうでないと、なんだかそういう状況に置かれている人たちに怒られてしましそうです。。。
前置きが長くなってしまいましたが今回わたしがお伝えしたいことは「最高だった!」と思う時というのは、その時その時の小さな自分の選択がもしかしたらそれが
「人生で一番最後に思い出す最高の時間」になるかもしれない、ということです。
『この会社に就職するか、こっちの会社に行くか』
『この人とこのまま人生を共にするか、それとも別々の道に行くか』
『子供を産むか、産まないか』
『このままこの街に住むのか、それともまったく違う場所に住むのか』
など大きな選択から
『ブルーのグラスを買うか、透明のグラスを買うか』
『今日の出勤、歩いて行くか?自転車にするか?』
『今日は寄り道して帰る?まっすぐ帰る?』
『先に勉強をするか?休憩してから勉強にするか?』
のような小さなこと。
その一つ一つが自分の人生を作っていっていることに「はっ!」と気づくときがありました。
「その選択があなたの今後を左右するよ」
などの言葉は、言われたこともあるし、わかっていたつもりでいました。
ですが、かなーり大人になってから(割と最近です・・・)改めて実感することが出来ました。
なにか大きな出来事がそう気づかせてくれたわけではなく、日々の選択をしてきてふとしたときです。
「このデザート、食べるか食べないか。『私は』どうしたいのだろう?ちょっと高い、だからやめておくのか?でも実はそんな困るような金額ではない。
食べたら太るかも?でもそれって今のこの感情を我慢するほど重要なことか?』
みたいなとっても小さなことです。
考えてみると大きな選択でも、そういうことを考えていた経験もありました。
夫との結婚を決める時です。夫には世間的に見れば実はかなり問題がありました。友人も「その人は×!!」な意見が多くありました。実は親には告げていませんでした。
一度は「いままでの関係はよかったけど別れるべきだろうな」と考えました。でもそこで夫と向き合うと同時に自分とも向き合うことができました。別れるか、結婚か。どちらを思うと私の気持ちは明るい方に向かうのか、自分を幸せにするためにやる気がでるのか、ということを考えました(どっちにしてもやる気が必要、と感じていました)
キーワードは『私は今どうしたいのか?』がです。
私が、私の人生を最高にするために、私が、選択をする。
自分が自由に決める。責任はすべて自分にある。
そういう気持ちが入った選択をするとちょっとした選択にも大きな選択にも満足感と意味が見えてくるのです。
後になって「しまった!!」ということはもちろんあります。でもそれもその時に自分が決めたこと。
『しまった!』の後にはまた新しい選択をしていく、という繰り返しになるのだな、と気づきました。
選択をした『その時』の『私』は、そう決めたのです。
『自分の選択に責任を持つ』というと全然楽しくないですが(笑)
『私のために、私が、『私は今どうしたいのか』を考える』という瞬間を増やしていく。
それが「人生の最高のとき」の種をたくさん蒔くことになるんじゃないかな、と思っています。
そう思うと日々のなんでもない選択がちょっと楽しくなるかもと、この記事をシェアさせてもらいました!